ダダ発足の経緯

平成 5年 5月  「メンタルクリニック・ダダ」創立

          10月  小規模デイケア認可

平成 6年 8月  大規模デイケア認可

平成 7年 4月  思春期デイケア「ひまわり」開始

     12月  「医療法人社団 至空会」設立

平成 9年 8月  一般デイケア「いろり」開始

児童デイケア「DAK」開始

平成10年 4月  グループホーム「ぐるぐる」開設

          「精神障害者生活訓練施設 援護寮だんだん」開設

          「精神障害者地域生活支援センター だんだん」開設

平成13年 4月  ダダ第2クリニック開設

          グループホーム「ぶれす」開設

平成14年 9月  児童デイケアを「DAK」から「マスカット」へ改名

平成15年 4月  グループホーム「ぷりんはうす」開設

平成16年 4月  「障害者就業・生活支援センター だんだん」設置

     10月  グループホーム「あくあ」開設

平成17年 4月  浜松市より「障害者就労支援センター ふらっと」事業受託

     10月  浜松市より生活支援事業受託

平成18年10月  障害者自立支援法施行に伴い、地域生活支援センターから地域活動支援センターへ移行

          「相談支援事業 だんだん」設置

平成19年10月  「多機能型事業所 ワークだんだん」開設

                     就労移行支援・就労継続B型支援

生活訓練・自立訓練「もあいっこ」設置

平成21年 4月  浜松市より「発達支援広場事業 たんぽぽ」受託(東区)

平成22年10月  相談支援事業所開設

メンタルクリニック・ダダが発足した経緯を、対談形式でお届けします。

ダダ発足の経緯

ダダ発足の経緯

ーなんか不思議な名前のクリニックですね
よく聞かれます。「ダダって何ですか?」と。インターネットで「ダダ」を検索すると、最初に出てくるのは、ウルトラマンの怪獣です。もちろん、そこからこの名前がついたわけではありません。
私たちは、乳幼児から児童思春期を専門として診ています。皆さんも経験があると思いますが、小さい頃親に甘えて思いっきり駄々をこねたりしたことがあるかと思います。
これはとても発達の上で大切なことなのです。一番身近な他人である親から受け入れてもらう体験、駄々をこねても叶わないこともあるでしょう。でも、それがずっと続くのではなく、時にはそんな駄々っ子も受け入れてもらえることがある。人間としての、存在を認めてもらうこと、安心してそれをぶつけられる人がいること。私たちが治療の中で大切にしていることは、そういうことです。
その「駄々っ子」や、こんな組織ですから、ダダイズムのダダから来ていると思ってくださって構いません。
実は、私は「メンタルクリニックこすもす」とか「もちもちの木」なんていう名前を提案していました。
ー「もちもちの木」、ですか
「ダダ」に決まったこの日、私を含め4人が集まっていました。竹内公一さんという、浜松養護学校の副校長をされた方が、児童思春期の軽症者から重症者までをフォローできる相談機関があったらな、と相談されてきたのです。私も、関東中央病院に勤務する中で、なんとかしないと子どもたちが危ないという思いを持っていました。同じ思いを抱いていた、花園大学で心理学部の学部長をされたこともある丹治光浩さんや、東海大学医学部の松本英夫教授が、月1回の開院計画の会合を開いていたんです。
ー当時、そのような危機感を持たれていた同志が集まったと
当時どころか、今も厳しい状況には変わりありません。その頃は、児童思春期をしっかり診たいと思っても、診療保険点数の補償がありませんでした。ご存知のとおり、医療機関は診療報酬の枠組みの中で運営されています。ここからしか、基本的に財源は生まれません。補償が無いということは、すなわち赤字です。赤字を出してまで、民間病院で行おうなんて悠長なことはできません。公設の児童精神科病棟にも閉鎖の圧力がかかっており、大学病院で児童思春期を対象とした治療グループも、存続の保証はどこにもありませんした。
ー八方塞がりの状況です
これはもうおしまいか、というときに声が上がったのです。子どもたちはどうなるんだ、我々は何ができるのか、と。そこで、万が一のときのために、臨床の場を確保する必要があるね、ということで、クリニック形式で、様々な職種のスタッフが働く組織を作ろうか、ということになりました。
ー開院計画の会合はどんな様子でしたか
基本的に我々は、おいしいお酒があれば幸せな者同志でもありましたから、何も事情を知らない方々からすれば、飲み屋でくだをまいているおっさんに見えたかもしれません。でも、本人たちは極めてまじめに、たくさんのことを議論しました。
例えば、クリニックの建物です。当初から、児童思春期を想定していましたので、診察室、面談室、遊戯療法室は複数欲しいと考えました。ホールやデイケアの和室もいるね、広い運動場で思いっきり遊んでもらいたいね、などと話を進めるうちに、コンサートホールも作ろうという話にもなりました。さすがに、専用のコンサートホールは作りませんでしたが、ヤマハの音響エンジニアがボランティアで参加してくださって、ホールにこだわりの音響を設計してくれたんです。小さなコンサートなら十分に満足行くようなすごいものです。今はこのホールで音楽療法やリトミックなどをやっています。
ー初めて建物に入ったとき、迷路のようで、ちょっとワクワクしました
それは建て増しを続けたからそうなっただけですが、まるで忍者屋敷だとおもしろがる子どももいます。部屋の中に砂場があったり、アスレチックのようにチェーンにぶらさがれたり。当初から、何でもありでいいじゃないかと思っていたので、結果としてクリニック全体が面白い空間になっていると思います。
ー「ダダ」という名前は、最後まで決まらなかったのですか
いろいろと開院の計画が進む中、なかなか決まらなかったのです。もうこれで最後にしようと、私は「メンタルクリニックひざまくら」にしようと渾身の提案をしました。そうしたら、「スナックじゃないんだから・・・」と見事に却下され、4人は黙り込んでしまいました。
突然、丹治さんが持ってきていた現代用語辞典を引っぱり出してきて、パラパラと引き始めたのです。開いたページには、たぶんダダイズムという言葉があったのでしょう。「ダダが良いんじゃないか」。もはや疲れ果てていた皆は、それでいいねと、一瞬で決定しました。
余談ですが、「至空会」にも逸話があります。医療法人化する段になって、同じように名称をどうするかで議論がありました。私は再び「ひざまくら」を提案しようとしたのですが、また引っ込められるかなと思っている隙に、誰かがテーブルの上にあった缶飲料の「クー」を手にとって、これで行こうと言い出したのです。クーでいいよって。なんとなく言葉を組み合わせて、至空会にしました・・・なんてことを酔っぱらったときによく言っているわけですが、本当の意味は「いずれみんな、空っぽになろうよ」ということです。大空に羽ばたいて至る、という意味ではなく、空っぽに至る、という意味です。
ーそして開院に至るわけですね
前例がないクリニックですから、紆余曲折はありました。そして、開院時には受付2名、心理士常勤2名、非常勤2名、デイケアのほうに看護師1名、看護補助者1名、心理士1名、そして医師の私でスタートしました。